さて、西安到着から一夜あけて、 いよいよ歴代墓参りツアーの始まり。左右の写真は、秦の始皇帝時代の「抗儒谷」始皇帝はたくさんの儒者を生き埋めにし、膨大な書を焼いてしまった。(竹簡)法を絶対の物とする秦にとっては儒という思想は統一の邪魔にしかならなかった。李斯という宰相の薦めにより実行した。しかし、生き埋めなんて・・。

←抗儒谷(こうじゅこく

今はただの麦畑。 ぽつんと石碑だけが建つ。左すみの赤いヤツはゴミ袋。が引っかかっているだけ。本当は、朝一番に兵馬俑に向かうはずだったのだが、予定変更。中国観光では当たり前みたい。 上の抗儒谷に向かう途中の道路は、まったく最低である。おなかの「にく」が上へ下へと・・・

さあ、次はどこのお墓だい?と思ったら次は「鴻門」こうもんと読む。


鴻門は、「星野究の人物探訪」に登場した、項羽と劉邦が会談した場所だ。鴻門の会という。 上右の写真の手前から3人目が項羽。英雄である。ここで、先回りして咸陽に入り、秦の都を制圧した劉邦は、あとから来た項羽に「お待ちしておりました」と、ここで出迎えた訳である。本当は、先に入った者の勝ちであったはずだったが、圧倒的な力の違いを恐れた劉邦は、張良という名軍師に「謝っちゃいなさい」と言われ、ビビリながらここで宴会をやったわけだ。でもその時に、項羽の軍師の范増(はんぞう)は、「あんなずるがしこいヤツは今始末しちゃえ」と項羽にいったのだが、剛気を売り物にしている彼は、謝られるとす〜ぐ許しちゃう。これじゃいかんと、范増老人、項荘に命じて剣の舞を装い、劉邦を殺そうとする。そこへ、項羽のおじさんの項伯。この人は以前、やばいことをやって張良にかくまってもらった事があるらしい。それに恩義を感じて、剣舞の相手をして劉邦に近づくことを阻む。

この名場面が左の写真。
ここで、劉邦が殺されていたら世界の歴史は大きく変わっていただろう。さて、まずいと思った張良くん、劉邦の子分の樊かいくん(かいの字がでない)に命じて守らせようとした。これを見た項羽さん、「おまえは誰だ?」樊かいは、「護衛隊長である。主君の危急を救わんが為、ご無礼」項羽は彼に杯を勧め、その飲みっぷりが気に入った。また、肉を与えると樊かい君、持っていた盾をまな板に、 剣を包丁の代わりにして喰ってしまった。そうこうした騒ぎの途中、当の劉邦といえば、厠にいくふりをして、すっ飛んで帰ってしまった。張良はその後うまく取り繕ったらしい。

上のようなテントで、宴会があった。 劉邦の像の前でご満悦の妻。左の写真鴻門の会のあと、項羽は咸陽に入場し、劉邦君は撤退。せっかく命拾いした、秦の始皇帝の孫「子嬰」は殺されてしまった。これで、秦は滅亡した。以上の事は司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読みなさい。さて、次はいよいよ始皇帝の兵馬俑坑である。いっきに行ってみよう。兵馬俑坑とは、でかい埴輪が膨大な数埋まっているところで、お墓そのものではない。お墓の始皇帝陵はまた別の所にある。さて、咸陽を占拠した項羽は、墓という墓を暴いて財宝を略奪したのだが、この兵馬俑だけは免れたのだ。なぜなら、ここを造った職人や、作業員はぜ〜〜んぶ殺されちゃったから場所が判らなかったと言われている。それが、1974の春、一人の農夫が井戸を掘っている最中に何かにぶち当たった。これはなんだろう?と村のお偉方に報告。村のお偉方も???だったので国のお偉方に報告。もしや!!と思った学者さん達。的中した。おおおおおお!まさしくこれは!!!この辺はとにかく史跡だらけなので掘れば何かでてくる確率は高いらしいが、今回のはまさに大発見。さあ、これからが大変。まさに、国を挙げての第発掘になった。ちなみに、兵馬俑坑を掘り当てた農夫の揚さん(ようさん)は一躍スターになり、今でも、お土産やさんでサイン会をしている。僕ももらっちゃった。ところで、中国のことをChinaと書き、チャイナと読むが、これは秦を中国でチンと発音することから由来しているらしい。

兵馬俑坑博物館の入場券でプリペイドカード(上左)。民間のお土産やさんが並ぶ。粗悪品が多いので注意と ガイドさんに言われた。(上右

さあて、いよいよ今回の旅の本命、始皇帝兵馬俑博物館である。 入口から、一号抗までも結構な距離である。前まできて思わずVサインの私。

さあて、いよいよ今回の旅の本命、始皇帝兵馬俑博物館である。 入口から、一号抗までも結構な距離である。前まできて思わずVサインの私。ほんとはこの内部、撮影は禁止である。・・のはず。 しかし、周りを見れば皆ぱちぱちと撮っていたので、つい・・。さて、やはり写真で見るのとは大違いだった。左は一番有名なやつ。右はもっと奥の方でまだ発掘中である。安易に掘り返すと大変なことになる。兵馬俑自体は、約180センチ、中は空洞の焼き物だ。当時はきれいに彩色されていたらしい。一体一体が全て違う顔や髪型で同じ物は一つとしてないそうである。


左はもっと奥の方で、首がない。 なぜなら、彩色が残っているので空気にふれない所に保存しているとのこと。ドイツの研究所と共同で彩色の保存に取り組んでいる。実際に、まっすぐ列をなしているのは、兵隊の兵俑。いろんな方向を向いている。

さて、第一抗から、第三抗までぐるっと回ると約三千メートルのコースとのこと。 最後に、兵馬俑博物館の中にあるお土産やさんにいった。すごい、マンツーマンで貼り付いて来るぞ。しかも、日本語を話す。私は、買ってしまった。・・・・。だが、ここで買う兵馬俑のレプリカは本物の土を分析して、ここの粘土を使い、何度も焼き直した本物のレプリカ?である。と、信じている。箱の内蓋に証明書が付いている。さて、次回は阿倍仲麻呂に由来する興慶公園、玄奘三蔵の興教寺また、弘法大師が勉強した青龍寺をお届けする予定。 


特別付録

兵馬俑を発見した、揚さんのサイン。長いパイプをくわえながら、実に見事にサインをしてくれた。別に欲しかった訳ではないのだが、パンフレットを買ったとき販売員のおばさんが、横にいる揚さんに、そのまま渡してくれた。
謝謝!