さて、西安到着から一夜あけて、 いよいよ歴代墓参りツアーの始まり。左右の写真は、秦の始皇帝時代の「抗儒谷」始皇帝はたくさんの儒者を生き埋めにし、膨大な書を焼いてしまった。(竹簡)法を絶対の物とする秦にとっては儒という思想は統一の邪魔にしかならなかった。李斯という宰相の薦めにより実行した。しかし、生き埋めなんて・・。 ←抗儒谷(こうじゅこく
さあ、次はどこのお墓だい?と思ったら次は「鴻門」こうもんと読む。
上のようなテントで、宴会があった。 劉邦の像の前でご満悦の妻。左の写真鴻門の会のあと、項羽は咸陽に入場し、劉邦君は撤退。せっかく命拾いした、秦の始皇帝の孫「子嬰」は殺されてしまった。これで、秦は滅亡した。以上の事は司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読みなさい。さて、次はいよいよ始皇帝の兵馬俑坑である。いっきに行ってみよう。兵馬俑坑とは、でかい埴輪が膨大な数埋まっているところで、お墓そのものではない。お墓の始皇帝陵はまた別の所にある。さて、咸陽を占拠した項羽は、墓という墓を暴いて財宝を略奪したのだが、この兵馬俑だけは免れたのだ。なぜなら、ここを造った職人や、作業員はぜ〜〜んぶ殺されちゃったから場所が判らなかったと言われている。それが、1974の春、一人の農夫が井戸を掘っている最中に何かにぶち当たった。これはなんだろう?と村のお偉方に報告。村のお偉方も???だったので国のお偉方に報告。もしや!!と思った学者さん達。的中した。おおおおおお!まさしくこれは!!!この辺はとにかく史跡だらけなので掘れば何かでてくる確率は高いらしいが、今回のはまさに大発見。さあ、これからが大変。まさに、国を挙げての第発掘になった。ちなみに、兵馬俑坑を掘り当てた農夫の揚さん(ようさん)は一躍スターになり、今でも、お土産やさんでサイン会をしている。僕ももらっちゃった。ところで、中国のことをChinaと書き、チャイナと読むが、これは秦を中国でチンと発音することから由来しているらしい。
兵馬俑坑博物館の入場券でプリペイドカード(上左)。民間のお土産やさんが並ぶ。粗悪品が多いので注意と ガイドさんに言われた。(上右)
さあて、いよいよ今回の旅の本命、始皇帝兵馬俑博物館である。 入口から、一号抗までも結構な距離である。前まできて思わずVサインの私。
さあて、いよいよ今回の旅の本命、始皇帝兵馬俑博物館である。 入口から、一号抗までも結構な距離である。前まできて思わずVサインの私。ほんとはこの内部、撮影は禁止である。・・のはず。 しかし、周りを見れば皆ぱちぱちと撮っていたので、つい・・。さて、やはり写真で見るのとは大違いだった。左は一番有名なやつ。右はもっと奥の方でまだ発掘中である。安易に掘り返すと大変なことになる。兵馬俑自体は、約180センチ、中は空洞の焼き物だ。当時はきれいに彩色されていたらしい。一体一体が全て違う顔や髪型で同じ物は一つとしてないそうである。
さて、第一抗から、第三抗までぐるっと回ると約三千メートルのコースとのこと。 最後に、兵馬俑博物館の中にあるお土産やさんにいった。すごい、マンツーマンで貼り付いて来るぞ。しかも、日本語を話す。私は、買ってしまった。・・・・。だが、ここで買う兵馬俑のレプリカは本物の土を分析して、ここの粘土を使い、何度も焼き直した本物のレプリカ?である。と、信じている。箱の内蓋に証明書が付いている。さて、次回は阿倍仲麻呂に由来する興慶公園、玄奘三蔵の興教寺また、弘法大師が勉強した青龍寺をお届けする予定。
|