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ヴィオラ奏者 山田智子 ベルリオーズはシェイクスピアの戯曲を特に愛し、彼の音楽はものがたり的な要素を持っています。オーケストレーションは色彩ゆたかです。その作品は“音で描いた物語、又は絵巻物”ではないでしょうか。1.てっとり早いこの作品のあらまし 2.ストーリー 3.構成 4.聴きどころ 5.聴かなきゃわからない!クイズ 6.ベルリオーズの恋愛と作品 7.ローマ賞コンクールとベルリオーズ 8.演出‐目に見えないオーケストラ 1.てっとり早いこの作品のあらまし 「レリオ、あるいは生への回帰。作品14bis」は「幻想交響曲。作品14」の続編として作られました。 ある芸術家が恋に絶望し服毒自殺をはかり、毒による昏睡状態の中で見る夢、その情景が「幻想交響曲」です。 「レリオ、あるいは生への回帰」では、死にきれなかった主人公が目を覚ます場面、「おお神よ!私は生きている・・・」という台詞から始まります。この作品は音楽よりも語りを中心に構成されています。俳優(レリオ)による独白の合間に音楽が挿入されています。 「幻想交響曲」の主人公、"ある芸術家"は、続編の中では 台本は作曲者本人に依るものです。ただしベルリオーズは実際に自殺をはかった訳ではなく、あくまで想像上の彼の分身がレリオなのです。 音楽の部分は六つの曲から成っています。それぞれが独立した楽曲であり、レリオという人物を介してまとめられています。曲の内容と、この作品の物語との直接の関係はありません。 2.ストーリー 一度は死のうとした青年芸術家が生へ回帰する―――音楽に身を捧げて生きてゆこうと決意するまでの心の動きを表現している作品です。 物語はレリオ役の俳優によって独白されます。ベルリオーズは「メロローグ」(メロドラマ+モノローグ) と言っています。全編を通して独り言、すなわちレリオの空想の世界です。 最後の曲の直前で、「さあ、私は作曲するのだ!」と空想から抜け出し、場面はそこから現実世界のできごとになります。レリオが「では皆さん、これからリハーサルをします。」と言って、舞台上の演奏者へ指示を出し、「シェイクスピアの"嵐"に基づく幻想曲」の演奏が始まります。 さて、この最後の曲が終わった後、レリオはどうなるのでしょう・・・。謎を残して終わります。どんな演出になるか、乞う御期待。 3.構成 ☆ 登場人物 レリオ、ホーラティオ(レリオの友人)、山賊たち、幽霊たち、オーケストラの団員、合唱団員 ☆ 作品の構成 レリオの独白 第1曲 漁師 (テノール独唱とピアノ) 約5分30秒 レリオの独白 第2曲 亡霊の合唱 (合唱とオーケストラ) 約6分30秒 レリオの独白 第3曲 山賊の歌 (バリトン独唱と男声合唱とオーケストラ) 約4分30秒 レリオの独白 第4曲 幸福の歌 (テノール独唱とオーケストラ) 約6分 レリオの独白 第5曲 エオリアン・ハープ―――回想 (オーケストラのみ) 約3分 レリオの独白 第6曲 シェイクスピアの“嵐(テンペスト)”による幻想曲 (合唱と4手のピアノとオーケストラ) 約15分 レリオの独白 (完) 4.聴きどころ 第1曲 漁師 詩・ゲーテ/仏語訳 A.デュボア 1827年頃に作られた歌曲。 レリオの空想の中で、友人ホーラシオがピアノを弾きながら歌っています。ホーラシオのモデルとなった人物は、ウンベール・フェラン(1805〜1868、法律家)。ベルリオーズの生涯の友でした。ベルリオーズはフェランの作詞、訳詩による作品をいくつか書いています。 第2曲 亡霊の合唱 レリオの空想の中で幽霊たちが歌っています。 くぐもったオーケストラの響きにのって、不気味な旋律が斉唱で歌われます。 1829年に作ったローマ賞コンクールに提出したカンタータ「クレオパトラの死」(注)の中の「瞑想曲」を転用。 第3曲 山賊の歌 レリオの空想の中で、山賊の首領とその手下たちが歌っています。 ベルリオーズの斬新な作曲技法が生きている曲です。楽譜上の拍子と、実際に聞こえる拍子(強拍)がずれており、それがこの曲全体の躍動感を増しています。演奏する者にとっては目くらまし(耳くらまし?)になってしまい弾きにくいのですが。 第4曲 幸福の歌 レリオの心の声が、愛の夢を歌っています。 1827年に作曲したローマ賞コンクールに提出したカンタータ「オルフェウスの死」(注)の一部分を転用し、1831年に留学先のローマで書かれました。 第5曲 エオリアン・ハープ―――回想 「幸福の歌」の気分で、レリオはひきつづき夢想にふけっています。 エオリアン・ハープとは、風の神アエオロスの竪琴で、風が吹くとひとりでに鳴り出す楽器。 「幸福の歌」のメロディがクラリネットによって奏でられます。第4曲と同じ「オルフェウスの死」の最後の部分を転用。 第6曲 シェイクスピアの〈テンペスト〉に基づく幻想曲 シェイクスピアの小説をもとに1830年に作曲、初演された曲です。 4手のピアノ(連弾)が効果的に使われています。オーケストラの楽器としてピアノを使った作曲家は、ベルリオーズが最初だといわれています。のちにサン=サーンスがこれに倣って交響曲第3番(オルガン付)の中で4手のピアノを使っています。 注:カンタータとは、歌の曲の意。17世紀にはレチタティーヴォ(話し言葉のように歌われる部分)とアリア(抒情的な歌)を含む独唱曲を意味した。ローマ賞コンクールについては7.を参照。 5.聴かなきゃわからない!クイズ 問題です。 「レリオ」の中には「幻想交響曲」の音楽が2回、断片的に出てきます。それはどことどこでしょう?「幻想交響曲」を知っている人、聴いた事のある人ならすぐにわかりますよ! 6.ベルリオーズの恋愛と作品 「幻想交響曲」と「レリオ、あるいは生への回帰」は、彼がパリで音楽家として活動を始めた20代の頃の恋愛体験と深く関わっています。 1821年、エクトル・ベルリオーズ(1803〜1869)は医科大入学のため、郷里(南フランス)からパリへ出てきました。しかし、もともと好きであった音楽への情熱が高まり、最初は独学でしたが、1826年にコンセルヴァトワール(音楽学校)へ正式に入学します。 【 ひと目惚れ 】 1827年、23歳のベルリオーズは、イギリスから来たシェイクスピア劇団の公演を見て、ヒロイン役の女優ハリエット・スミスソン(1800〜1854)にひと目で恋をしてしまいました。 劇場へ通いつめ、頻繁に手紙を出し、彼女が馬車に乗り込むのを見張り・・・だが、相手は高名な女優。出会うチャンスは無し。 「こんなに愛しているのだから、彼女が自分を好きにならない筈がない」 彼は思いを募らせ、しまいには彼女に対して憎悪の念を抱くようになります。その恨みを晴らすべく、恋人が最後は醜い悪魔の姿になるという、「幻想交響曲」を作りました。すると、激しい片思いの情熱は憑きものがおちたように冷めたのでした。 【 友人の恋人 】 1830年、彼はまた恋をしました。相手はカミーユ・モーク(1811〜1875)、18歳のピアニスト。友人でピアニスト兼作曲家、フェルディナント・ヒラー(1811〜1885,ドイツ人)の恋人でした。ある時、カミーユから「フェルディナントの事で話をきいてほしいので二人きりで会いたい」と誘われます。 「フェルディナンドは愛してくれているのだけれど、なんだからちがあかないのよね・・・」 そして急速に親密になっていったのです。 恋人に裏切られたヒラーは、それでも変わらぬ友情を誓いました。 その頃のベルリオーズはローマ賞コンクールで1等を受賞し(7.を参照)、副賞として2年間のローマ留学が決まっていました。カミーユとは留学を終えたら結婚する約束をし、ローマへ旅立ちました。 【 婚約破棄 】 留学生活が2ヶ月過ぎた頃の事、カミーユの母親から「娘はピアノ製造会社の息子のP氏と結婚した」との手紙を受け取ったのです。彼はすぐさまパリへ向けて出発しました。復讐するためです。カミーユ、その母、P氏の三人をピストルで撃ち殺し、自分も死ぬ。パリでは顔を知られているので変装用に小間使い(女装)の衣装を用意して・・・。 当時、ローマからパリへは馬車を乗り継ぐ旅でした。途中で彼は思い直します。自殺の必然性について、です。 「この世に対しても芸術に対しても別れを告げる。しかし最初の交響曲すら完成していないではないか。他の作品、偉大な作品はみな、まだ頭の中にあるだけだ・・・それを、そのまま・・・」 彼は「人生への愛と芸術への愛」に気づくのです。「ある芸術家、あるいは生への回帰」の構想が浮かんだのでした。 復讐の気持ちは消え、思い出すのはかつて恋した女優ハリエット・スミスソンの事でした。 【 レリオ初演と結婚 】 留学生活に復帰したベルリオーズは1832年5月、留学期間を半年くり上げ、南フランスの実家へ帰りました。 1832年11月、彼は新作(レリオ)を発表するため再びパリへ戻り、演奏会開催のために奔走しました。同じ頃、ハリエット率いるイギリス劇団もパリに滞在していました。 かつての花形女優はいまや落ちぶれた劇団の不幸な団長として破産寸前の状態にありました。そんな時に音楽会へなんて、普通なら行く筈もないのですが、周囲の計らいと思惑によって、ハリエットはベルリオーズの自作演奏会に姿を見せます。 彼女はそれまでエクトル・ベルリオーズの名前を聞いた事はありませんでした。ましてやその日の曲目に出てくる女主人公が自分自身だなどとは夢にも思っていません。 彼女は指揮者の背後にいる主催者に気付きます。 「ああ、あの人はあの時の青年・・・でも私の事は忘れていてほしい・・・」 演奏会前半は「幻想交響曲」。彼女は物語の奇抜さに驚き、深い印象を受けました。 後半は新作「生への回帰、メロローグ」。(この時はまだ「レリオ」という題はありませんでした。) 語りの台詞が 「ああ、わが心の求め続けるジュリエットよ、オフィーリアよ。どうしてめぐり合えないのか!・・・」 彼女は確信しました。 「どうしよう。これは私のことなのだ。あの人がずっと私を愛していてくれたなんて・・・」 ジュリエットもオフィーリアも、彼女の当たり役だったのです。 レリオ初演、1832年12月9日。この愛の告白劇はハリエットが涙を流すほどの強い衝撃を彼女に与えました。 後日、二人は初めて引き合わされ、1833年に結婚。翌年には長男ルイが生まれました。「レリオ、あるいは生への回帰」は息子ルイに捧げられています。 7.ローマ賞コンクールとベルリオーズ ベルリオーズは1826〜30年、毎年ローマ賞コンクールに挑んでいます。1826年はコンセルヴァトワールに在籍していなかったため予選落ち、1827年は演奏不可能の判定で拒絶され、1828年は2等、1829年は相当の自信があったにも関わらず該当者なし、1830年に念願の1等を得ても、彼はあまり嬉しくありませんでした。コンクールに対して批判的になっていたのです。斬新な作品は排除されたり、審査員の利権によって結果が左右されたり、また、審査方法にも問題があるという事を知ったからです。 ローマ賞受賞者としての凱旋公演は、演奏不可能とされた「オルフェウスの死」と該当者なしとされた「クレオパトラの死」を、他の自信作と合わせて発表し、作曲家ベルリオーズの真価を世に問う、という挑戦でもありました。同時に、芸術への愛と権力への痛烈な批判をレリオに語らせました。 不満に思いながらもコンクールに応募し続けたのはなぜか、(名声や恩給は勿論ですが)第一に両親の理解を得、立派な音楽家として認めてもらうためでした。音楽なぞは全うな仕事ではない、というのが両親の考えだったのです。 ※ローマ賞は、1803年に皇帝ナポレオンによって創設された、フランスの芸術家育成を目的としたコンクール。文学、美術、音楽の各分野の1等受賞者に留学や年金が与えられました。音楽部門ではのちにトマ、グノー、ビゼー、マスネが受賞しています。 余談ですが、今回の演奏会のチラシに使われている肖像画は、絵画部門受賞者で同時期にローマ留学していたエミール・シニョルが、まさに「レリオ」を書いていた頃のベルリオーズを描いたものです。 8.演出‐目に見えないオーケストラ この作品は、劇形式で上演できるように書かれています。(劇形式の初演は1855年ヴァイマル。)ベルリオーズは次のように指定しています。 オーケストラと合唱,歌手は舞台に下ろした幕の後ろに、聴衆から見えないように配置する。前舞台では俳優がひとりで語り、ひとりで演技する。最後の独白が終わって、俳優が退場すると幕が上がり、フィナーレの参加者全員の姿が見えるようになる。 幕は、空想と現実を区切る役割をし、レリオだけが実在する人物として見えています。作品の構成,登場人物と照らし合わせて順を追ってみましょう。
演出は他に、レリオの動作、表情、小道具まで子細に指定されています。イタリア遊学中にヒントを得たと思われる「山賊の歌」の記述は、彼の嗜好をよく表わしています。
レリオは、一時姿を消し、手にローマ風の山賊帽を持ち、銃帯、サーベル、カービン銃、ピストルを身につけて戻ってくる。「山賊の歌」が流れる間、彼はそのシーンが眼前に繰り広げられているような気になって、そこで自分が果たす役割をパントマイムで演じてみせる。 Life's but a walking shadow; a poor player. That struts and frets his hour upon the stage, And then is heard no more; it is a tale Told by an idiot, full of sound and fury, Signifying nothing. Shakespeare,Macbeth. 人間の一生は動きまわる影にすぎない あわれな役者だ 出場のときだけ舞台の上で みえを切ったり 喚いたり そしてたちまち消えてゆくのだ 白痴がしゃべる物語も同然 響きと怒りは すさまじいが なんの意味も ありはしない (シェイクスピア「マクベス」第五幕第五場) | ||||||||||||||||||||||||||