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第6回 「1983年11月16日 第357回定期演奏会プログラム」

         

 幾筋もの轍、無数の足跡、夢の後……。
 この写真は、私にとって非常に印象深い、脳裏にくっきりと焼きついている光景のひとつです。すばらしい音楽会でしか味わえないような感動がそこいらじゅうにただよっていて、背を向けるのもためらわれ、ぼんやりとながめていました。

 その日は外山雄三氏が作曲し、日本フィルが初演した交響詩「まつら」の舞台となった唐津をテーマにとり上げました。唐津は博多から一時間ばかり西に行ったところにある「虹の松原」で有名な城下町。この地で5年前から毎年日本フィルの演奏会が開かれていますが、唐津日本フィルの会は、他では見られない一味ちがった運動を展開しています。『なにか唐津独特な事を…いや唐津独自の曲を創って日本フィルに演奏してもらおう』という、雲をつかむような内容から、唐津日本フィルの会を母体として“交響詩「唐津」を創る市民の会”へと話は進んでいきました。財政的にも、初めから大口をあてにせず、一人一口のみ1,000円という方針もこの運動を大衆的なものにしていった要因です。最終的には三千口以上の人の賛同を得て、外山雄三さんに作曲を依嘱し、曲は完成しました。

 この曲は唐津を含む松浦地方に伝わる民謡をもとにしたもので、最後のクライマックスに、唐津くんちの音楽がとり入れられています。新作初演にありがちなことですが、演奏旅行の練習もすませ、九州へと旅立ちましたが、パート譜はまだ完成せず、結局、初演の数日前に初めて目にすることができました。写真の田辺(運営委員長)がもっているのは、その時の鉛筆の後も生々しい初演の譜面で、この直後唐津のものとなりました(当夜のレセプションにて)。

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「曲は出来たぞ、初演も聴いた!」とくれば、今度はレコード化の話。唐津人の熱烈なる要望に押し切られ、レコード化は実現しました。発売がちょうど初演の翌年の公演日となり、恒例のロビーでのサインセールが左の写真です。左はトロンボーンの伊波睦、右は唐津の実行委員会です。2人のコントラストが愉快ですね。完成時に「唐津」から「まつら」と正式にタイトルが決められたこの曲は、外山雄三さんと唐津人、そして日本フィルが橋渡しをして作られた共有の貴重な財産で、今までに、九州各地はもとより、北に飛んで北海道、先月には大阪 で音になり、完全に日本フィルのレパートリーとなりました。

 唐津の人が口をそろえて日本一だと豪語する唐津くんち、私たちはそのものに今まで接する機会はありませんでした。それが先日の下関公演と広島公演とのあき日が運よく11月3日にあたり、私たちは初めて“くんち”を目のあたりにすることが出来たのです。町中が一体となった感動的な祭りでした。14の 曳山がくんち囃子にのって市内を駆けめぐり、砂地の場所に全山が勢揃いします。元来は砂浜で行われていたそうですが、とにかくこの祭りの圧巻は、この砂 地への引き入れ、引き出しです。数トンの山を砂に埋もれた状態から引き出す様は、言葉に言い表せません。写真では特別なはからいで、一番手前の背がティ ンパニーの佐藤、一人おいてヴァイオリンの三谷、背中まる出しの一番手前がコントラバスの高橋が参加させてもらいました。

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 車輪の半分は砂に埋もれた山、引っ張る者、押す者、かじをとる者、指揮をとる者、笛を吹く者、鐘をたたく者、太鼓をたたく者、そして見守る者と、老いも若きも幼きも、すべての力がここに凝縮し、気持ちの昴なる場面の連続です。その中で私が特に目を引かれたのが、揺れ動くのをものともせず、必死に笛を吹き続ける少年達の姿でした。

 

―――このような壮絶なドラマが駆けぬけた砂地がタイトルの写真です。この一枚が晩秋の昼の夢のような唐津くんちの映像を、泉のごとく湧き出させてくれます。

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